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青年海外協力隊OB - 井上 政史さん(スリランカ)

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スリランカ青年海外協力隊

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この記事の投稿者JAGA

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今週は、スリランカ民主社会主義共和国(Democratic Socialist Republic of Sri Lanka)をピックアップ!

<国の位置>
セイロン島はインド洋にあり、ベンガル湾の南西、アラビア海の南東に位置。

スリランカはシンハラ語で、正確にはシュリー・ランカー。シュリーは「聖なる」という意味の接頭辞であり「光り輝く」「高貴な」といった意味合いを含む。

<面積>
6.5万k㎡(北海道の8割)

<人口>
2023万人(2008年)

<言語>
シンハラ語とタミル語は国語にして公用語であり、連結語として英語も憲法上認められている。日常的にはほとんどの国民がそれぞれの民族語(シンハラ人はシンハラ語、タミル人はタミル語)を使っている。

<宗教>
仏教が70%、ヒンドゥー教が15%、キリスト教が8%、イスラム教が7%となっている。シンハラ人とタミル人の中にはキリスト教徒もいる。特にシンハラ人の漁民は、仏教の不殺生戒を守ることが出来ないので、キリスト教に帰依しているものが多い。マラッカラ(ムーア)やマレー人はイスラーム教である。

<気候>
気候は熱帯性であり高温多湿で、海岸部・低地では年平均気温27~28 °Cであるが、高地の気候は冷涼である。ヌワラエリア(標高約1890m)では年平均気温22 °Cと一年中常春のような気候である。

<特産品>
主要な産業は、農業と繊維産業。
主要な農作物として、米、茶、ココナッツ、天然ゴムなどが生産されている。植民地時代のプランテーションの影響が残り、低地の標高200メートル程度まではココナッツ、標高500メートルまではゴム、それ以上の標高では茶の生産が盛んである。茶の生産量では世界第3位であり、セイロンティーと呼ばれ、名産品である。しかし、この茶栽培は、虫害によって壊滅的打撃を受けたコーヒー栽培の代替であった。

<食>
スリランカの豊富な食材と新鮮な香辛料を多用した、スパイシーな料理が多い。地理的に南インドに隣接し、国民の2割弱がタミル人であることから、南インド料理との共通点も多い。インド料理と比較して際立っているスリランカ料理の特徴としては、ココナッツミルクを多用すること、新鮮な魚介類のカレーが多いこと、鰹節によく似たモルジブ・フィッシュから出汁をとることなどがある。米粉の利用も多い。カレーは煮込み料理全般を指し、ライス・アンド・カレーというと米飯と煮込み料理数種、パーパド、サンボール(チャツネ)のセットのこと。

<観光>
スリランカには、聖地アヌラーダプーラ、古代都市ポロンナールワ、ダンブッラの黄金寺院、古代都市シーギリヤ、仏陀の犬歯を奉ったダラダーマーリガーワ寺院、要塞都市ゴールという6つの文化遺産と、シンハラジャ森林保護区、スリランカ中央高地といった2つの自然遺産という計8つの世界遺産がある。美しいビーチや食べ物のおいしさもあいまって、2010年、米紙「ニューヨーク・タイムズ」は「訪れたい観光地」の第1位にスリランカを選んだ。

<東日本大震災での支援>
スリランカでは2004年12月にスマトラ島沖地震による津波で海岸部に大きな被害を受けた。この際、JICAは国際緊急援助隊の派遣や物資供与、ボランティアの派遣などを行った。また、今年の東日本大震災では、8,000万円の義援金や、宮城県気仙沼市や福島県田村市で駐日スリランカ カランナーゴダ大使自ら紅茶やスリランカカレーをふるまうなどの支援があった。同じ地震被災国として、様々な活動が行われている。

出典・参考:外務省HP、ウィキペディア、地球の歩き方

今日のゲストは…青年海外協力隊OBの井上 政史さん

■現在は帯広三条高等学校の校長先生でいらっしゃいます。井上先生、よろしくお願いします。

井上先生 以下井)よろしくお願いします。

■どちらの国へ派遣されていたんですか?

井)平成5年から2年間スリランカで活動していました。活動内容はインド発祥の伝統医学アーユルヴェーダに用いられる薬草の研究協力でした。

■植物が専門だったんですね。

井)はい。植物培養室をつくりました。最近では、日本でもアーユルヴェーダの一部がアロマテラピーなどに取り入れられるようになっていますよね。

■協力隊に応募しようと思ったきっかけを教えてください。

井)釧路北陽高校勤務の頃、説明会に行ってきた同僚が休憩時間に募集要項を広げていて、そこをたまたま通りかかったのがきっかけでした。

■スリランカはどんな国でしたか?

井)1年中、気温は28度くらいで湿度が高いです。もちろん、室内にエアコンはありません。唯一、冷たいシャワーを浴びることで涼んでいました。スリランカの国民性を表すエピソードとしては、バスにシルバーシートはありませんが、どんなに混んでいても必ずお坊さん・体の不自由な方・妊婦さん・高齢者はシートに座らせてもらえます。思いやり先進国だと思います。

■休日はどんな風に過ごしていましたか?

井)食べ歩きやオートバイ部品商めぐりをしていました。日本ではすでに売っていないものがありました。また、汗だらだらでサイクリングもよくしました。

■オートバイ部品商めぐりということですが、バイクがお好きなんですか?

井)旧いオートバイの再生が好きで、動かないものも含めると数十台あります。27歳の時に約2000キロの2週間ケニヤツーリングに出掛けました。35歳の時には、北海道で125CCのオートバイを押して、3日間で100キロ歩きました。ガス欠だったわけではありません。チャレンジしてみました。

■すごいチャレンジです!

井)オートバイは勿論、4輪の方も免許だけは大型2種、けん引、大型特殊と取りそろえました。そっち系の仕事に方向転換したい思いもあったりしたのですが、気がつけば「学校のハンドル」を握ることになってしまいました。人生はわからないものです。

♪「エパ・カンドレル・サラ」

■どんな曲ですか?

井) 「泣いちゃダメ」という意味です。当時スリランカで長期間ヒット、街の中、バスの中で良く聞いた曲。熱い国で熱い想いで過ごした2年間が蘇ります。

■先生は学校に籍を置いたまま、スリランカに行かれたんですね。生徒からはどのような反応がありましたか?

井)現職参加という制度を利用して行きましたが、当時3年生の担任でした。翌年の進路?が一番早く決まったのは担任の私でした(笑)。生徒は就職や進学に向けて追い込みに入り、担任は深夜までシンハラ語の事前準備資料の学習や植物学の「自己研修指示書」に従って薬用植物のレポート作成。お互いに励みになったようです。

■帰国してから、スリランカの体験を生徒に話したりしましたか?

井)「理科(生物)」を担当していたので、授業に「協力隊」「スリランカ」「薬用植物」を時折混ぜ込みました。卒業後2、3人が協力隊参加したようです。

■最後にメッセージをお願いします。

井)若い人たちに世界をみてほしいですね。日本国外に出てみると、日本の良いところがよく見えてきます。

■海外ボランティアの募集が春に始まります。海外に興味のある方、ボランティアに興味のある方は説明会などにお出掛けください。
井上先生、ありがとうございました!

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クリスマス・イブの1994年12月24日に開局したコミュニティーFM局。十勝に根差し、リスナーとの共感を大事に放送しています。

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