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JICA帯広-山崎みつ美さん

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海外ボランティアパラグアイ

miho

この記事の投稿者miho

  • 1877

JICAでは4月1日から5月11日まで青年海外協力隊・シニア海外ボランティアを募集中です。
募集に関する情報は、JICAホームページをご覧ください!
http://www.jica.go.jp/volunteer/


今週のゲストは…山崎みつ美さん。
2011年1月から青年海外協力隊に参加、2年間パラグアイで 「村落開発普及員」という職種で活動。現在はJICA北海道(帯広)で研修員受け入れを担当。

パラグアイ共和国

<国の位置>
東と北東をブラジル、西と北西をボリビア、南と南西をアルゼンチンに囲まれている内陸国。
首都…アスンシオン(人口約51万人)

<面積>
40万6,752平方キロメートル(日本の約1.1倍)

<人口>
657万人(2011年、世銀)

<言語>
スペイン語、グアラニー語(ともに公用語)

<民族>
混血(白人と先住民)95%、先住民2%、欧州系2%、その他1%

<食文化>
パラグアイ人にも近隣諸国の国民と同様にマテ茶を飲む習慣があるが、パラグアイ人は好んでテレレ(冷たいマテ茶)を飲む。肉食の傾向が強いパラグアイ人は血圧を下げるためや、ビタミンの補給、発汗作用の為にも飲んでいる。マテ茶はグアラニー人から受け継がれてきた飲み物であるが、テレレそのものはチャコ戦争のころに生まれたようである。またマンジョーカと呼ばれるイモや、マンジョーカを原料にしたチパというパンを食べる習慣がある。

<二国間関係>
1937年に日系人が初めて入植して以来、日系パラグアイ人の貢献が高く評価されて伝統的に友好関係が続き、日本は非常に高い評価を受けている。日本人・日系人約7000人が住んでおり、2007年には移住70周年記念祭典が催された。1959年に締結された移住協定は1989年に効力無期限延長改定され、8万5000人の日本人移住者が受け入れ可能となっている。なお、1976年以来、2004年を除き、日本が最大の援助国である。 2011年3月11日の東日本大震災後に日本人移民農家を中心に「100万丁豆腐プロジェクト」として100万丁分の原料の大豆、製造加工費を日本へ支援した。

<観光>
●トリニダ―遺跡
18世紀に理想郷「グアラニー共和国」建国のためやってきたキリスト教イエズス会の宣教師らが建てた修道院跡。
1706年に建造し、自給自足の集落が企図され、中央広場、大教会、集会場、学校、作業場、博物館、先住民用の住居群などを備えていた。
レンガ造りの建造物が残り、それらの壁や祭壇を飾るレリーフや彫刻は素晴らしい。1993年にユネスコ世界遺産に登録。

●モンダウの滝
約9haの密生熱帯雨林に覆われた天然保護区モンダウ私立公園の中にある高さ約40mの瀑布。多数の小動物や小鳥、植物などを楽しむことができる。

<音楽>
●ポルカ
民族楽器のアルパ(パラグアイパープ)やギターなどで演奏される。 19世紀にヨーロッパでワルツと共に広まった2拍子の早い踊り。

●ラ・ダンサ・デ・ボティジャ
瓶の踊りと呼ばれるもので、女性が頭の上に水を入れた瓶を載せて踊る舞踊。

※パラグアイの音楽の起源はヨーロッパにあり、ブラジルやアルゼンチンの影響は殆ど受けていない。

出典・参考:外務省HP、ウィキペディア、日本パラグアイ協会

今週のゲストは…
JICA北海道(帯広)職員の山崎みつ美さん

山崎さんは、2011年1月から青年海外協力隊に参加、2年間パラグアイで「村落開発普及員」という職種で活動、現在はJICA北海道(帯広)で研修員受け入れの仕事をされています。

■よろしくお願いします。

山崎さん 以下山)よろしくお願いします。


■パラグアイの場所から教えてください。

山)パラグアイは東側をブラジル、西側をアルゼンチンに挟まれ、南米のど真ん中に位置します。南米の国はほとんどが海に面していますが、海のない国は珍しい国です。

■湖などはありますか?

山)湖も川もあります。夏はものすごく暑いですから、家庭用プールが販売されていて、水浴びをしています。パラグアイの人たちは水浴びが大好きですね。もちろん、湖や川でも水浴びをします。

■時差はどのくらいですか?

山)日本からはちょうど地球の反対側に位置していて、時差は12時間。飛行機で乗り継いでまる2日かかります。(世界中でも日本から最も遠い国といわれている)日本からアメリカとブラジルを経由してパラグアイに入ります。飛行時間も長いですが、乗り継ぎの待ち時間も非常に長いですね。JICAは世界各国・地域に人材を派遣していますが、パラグアイが一番時間が長くかかる国です。

■2日かけてたどりついたパラグアイの最初の印象はどんな感じでしたか?

山)0人くらいで降り立ったんですが、私たちは疲れ切っていましたね。夜中に到着しましたが、とにかく暑かったです。日本とは全然違うのかなという印象を持ちつつも、首都はマクドナルドがあったり、大きなビルやガソリンスタンドがあって、都会は見慣れた風景なんだなと思いました。

■パラグアイは大きい国ですか?

山)面積としては小さいですね。日本と同じくらいです。人口は約600万人。少ないです。南部の方に人口が集中しています。ブラジルとアルゼンチンの国境付近も栄えています。北部にはほとんど住んでいません。

■言葉は何語ですか?

山)原住民(グアラニ族)はグアラニ語を話しますが、スペイン人との混血の方が9割9分を占めていますので、スペイン語が主ですね。ただ、グアラニ語とスペイン語が混じったジョパラという言葉を話す方が多いです。また、田舎に行くとスペイン語が話せないという方もいます。

■協力隊派遣前にはスペイン語を勉強したんですね?

山)はい。派遣前はスペイン語が全く話せませんでしたので、アルファベットと数字の数え方から始めました。勉強はしていきましたが、やはり言葉では苦しみました。

■訓練所ではかなり言葉の訓練をしていくんですよね?

山)2か月間、朝から夜までみっちりやりました!人生で一番勉強したと思います。でも、日常で使う言葉とは少し違ったり、活動中は自分の言いたいことが言葉にできなかったりしましたね。活動しながら、言葉は覚えていくというのが一般的だと思います。現地には現地の言葉ありますので、その言葉を話すと喜ばれます。パラグアイだとグアラニ語ですね。

■気になるのは食べ物なんですが…?

山)日本の食事とはかなり違うので、私はちょっと大変でした。主食はマンディオカという細長い芋なんですね。食事のときには常にあります。そして、牛肉を非常によく食べます。牛肉を世界で一番よく食べる国はアルゼンチンらしいんですが、お隣にあるパラグアイも本当に牛肉が好きです。アサドという牛肉のバーベキューも好んでやります。シンプルに牛肉の塊を1キロくらい一人で食べます。味は塩・コショウで、コーラと一緒に食べていました。

■最初は「わーー!」ってなりますね。

山)そうなんです。だんだん「野菜が食べたいな」とか「お米が食べたいな」となっていきます。パラグアイではお米はサラダという位置づけです。マヨネーズと野菜、お米を和えて出されます。

■南米といえば、お茶文化ですね。

山)はい、そうです!寒いときは「マテ茶」、寒いときは「テレレ」を飲みます。お茶を回し飲みするのがパラグアイの文化です。通勤時にはお茶を必ず持って出かけます。出勤したら、まずはお茶を飲もうということになり、約30分、回し飲みします。そこから「よしっ、仕事しよう!」となります。お茶はコミュニケーション・ツールです。これは良い文化だなと思いました。マテ茶用のカップがあり、ストローがついています。私は持ち歩かず、もらっていました。どこに行ってもあるので、十分でした。

■味はどうなんですか?日本でもペットボトルで売られていますね。

山)マテもいろいろあるんですね。いろんな種類の茶葉を潰して、お湯か水を入れて飲みます。薬でもありますので、今日は胃腸が弱っているからコレを入れてみようとなります。本当に寒いときは、砂糖と牛乳をたくさん入れて、マテ・ドュルセにして飲みます。甘いマテという意味です。飲み方は様々です。

■テレレはどんな味ですか?

山)暑いときに飲みますので、日本でいう麦茶感覚です。いろんな種類の茶葉を選んで、潰して飲みます。人によっては、ミントやレモンが入っていたりしますね。好みで味が違って、美味しいですよ。

■パラグアイは暑いということですが、1年を通してみるとどうなんですか?

山)日本の真逆ですが、四季は日本ほどははっきりしていません。12~2月は30℃越えは当たり前、熱風が吹き荒れるというくらい暑いです。それ以外の時期は寒い日もあったり暑い日があったりとその日によって変わります。今日は0℃だったけど、明日は20℃まで上がるということがあります。日本のように冬はずっと寒いというようなことはありません。

■服装はいろいろと準備していったわけではなかったんですね。

山)そうなんです。暑いと思って薄着で行くと、寒い日もありました。お家も寒さ対策をしていませんので、寒い日は隙間風が冷たく、寒い時期は苦しかったです。寒い日は少ないとはいえ…だからこそ大変です。

■普段活動していた場所は街の中ですか?

山)日系移住地のラ・コルメラ市で活動していました。パラグアイは日系人も多く、約7000人が住んでいいて日経移住地が各地に点在しています。日本人に対するイメージが非常に良いです。ラ・コルメラ市は首都からバスで約2時間くらいのところにあります。街といっても3ブロック、3ブロックくらいの大きさで、市役所も市長を入れて5人くらいです。その市役所に配属されました。

■具体的には、どんな活動をされていましたか?

山)私は「村落開発普及員」という職種でした。活動は村おこしですから、「何でも屋」です。最初の頃は何をしたら良いのかわからなかったので、できそうなことは何でも手を出していきました。ですから、いろいろなことをしましたね。そんな中で、主に「ゴミの削減活動」をしました。日本でも「3R」=「削減・再利用・リサイクル」というのがありますが、学校中心に広報を行いました。また、コルメラ市はパラグアイの中でもフルーツがよく採れるところなんですが、ブラジルやアルゼンチンから安いフルーツが輸入されているので、売れないフルーツもあります。そのフルーツを加工して売ろうという「農産物加工プロジェクト」を行いました。ブドウジュースを売ろうというものでした。さらに力を入れたのが、「日パ交流イベント」です。協力隊に参加する前は、旅行関係の仕事をしていましたので、自分の知識の生かせる観光開発をしたいと思っていました。日系移住地ということもありましたので、パラグアイと日本の文化を融合させたイベントを企画しました。

■大変だったと思いますが、楽しそうですね。

山)パラグアイの人たちはお祭り好きなので、そのイベントは盛り上がりましたね~。みんなが協力してくれて盛大に開催しました!

■文化や気質を知ることが大事ですね。

山)そうなんですよ!そこを考えながら上手く巻き込むっていうのが大事だなって思いました!このイベントを開催したのが帰国の2か月前くらいでしたから、活動期間の後半になってそこに気づきました。

■それまでは難しいなって感じることが多かったですか?

山)何をやっても上手くいきませんでしたね。期間が2年間と決まっていますので、コレをやらなくちゃとか焦る気持ちもあります。それは日本式です。現地の人たち望むことは私の気持ちとは違います。現地の人が望むことと自分のできることを上手くマッチングさせて、やらなきゃいけないんだなとわかりました。本当に最初は人も集まってくれないし、話し合いもできませんでした。1年間は大変でしたね。

■最後のイベントができて、本当に良かったですねー!

山)本当に良かったです!!

♪ シャキーラ「Whenever wherever」

■どうしてこの曲を選んだんですか?

山)パラグアイではシャキーラが大人気でどの曲もヘビーローテションだったのですが、この曲は東日本大震災チャリティーアルバムに収録されている曲です。

■山崎さんが派遣されたのは2011年でしたね?

山)はい。2011年の1月に派遣されてその年の3月に東日本大震災がありました。パラグアイは海外のニュースをあまり流さないのですが、津波の映像が流れてきて、本当に衝撃でした。隊員の中には、東北出身者も何人かいまして、帰国しました。私たちも、海外から日本への支援をしたいと思い、日本のボランティア、日系人、パラグアイ人が一緒になって募金活動を実施しました。それは、首都のアスンシオンで震災の2週間後くらいに実施しましたが、本当にみんなが協力してくれましたね。パラグアイ政府機関が全面的に協力をしてくれて、広告をうってくれたり、ボランティアの学生を手配してくれたり、本当に人々があたたかく、感動しました。パラグアイは豊かな国ではありませんが、震災のニュースを見て、「自分の牛を売ったお金を募金」してくれた人もいました。お金を持っているとか持っていないとかっていうことではなくて、気持ちなんだということを募金活動を通じて実感しました。

■ボランティアに応募したいと思われたきっかけは何ですか?

山)学生のころから海外旅行が好きで、アジアの方にバックパックで旅行に出ていました。そのときに、カンボジアやタイで遺跡の復旧をしている日本人がいたんですよね。途上国で現地に住みながら、支援活動をしている人を見て国際協力に興味をもち、自分もいつか行ってみたいと思うようになりました。海外で仕事をするということに対する憧れもありました。

■山崎さん自身、ボランティアに参加されて、一番「良かったな」と思ったのはどんなことですか?

山)日本が好きになりました!日本を客観的に見ることってなかなかできません。長期で海外に住んでみて、見えることがあります。当たり前のこと(ルールを守る、仕事がある、好きな食べ物が食べられる)が当たり前じゃないんですよね。時間を守ることも高度に教育されているからこそ、成し得ることなんだとわかりました。日本は幸せな国ですね。

■現在JICA北海道(帯広)で勤務されているとのことですが、協力隊の経験が現在の仕事に生かされていると思う点はありますか。

山)途上国と生活、環境が日本と全く違うことが多少はわかるので、受け入れをしていて、来日する研修員の気持ちに寄り添えること。海外にマイノリティーとして長期滞在することのストレスもわかるので、できるだけ声をかけてあげるようにしています。

♪ コクア「プログレス」

■最後に、今ボランティアに参加しようか考えている方たちにメッセージをいただけますか?

山)興味はあるけど踏み出せないという方が多いと思います。私も、結婚していて家族をおいて一人好き勝手やることに対して悩みました。それでも、長い人生の中の2年間です。やらない後悔より、失敗だったとしてもやってみての後悔の方がいいと思い参加しました。実際参加してみて、本当に貴重な体験をできたと思っていますので、チャンスがあるならトライしてみて頂きたいと思います。

■ありがとうございました!

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miho

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